2004年03月16日

今日の毎日新聞の広告に出てたのですが、西山 里見「講談社『類語大辞典』の研究—辞書がこんなに杜撰でいいかしら」という本が出版されているみたいです。「まき起これ! 辞書論争。真実の前にタブーはない!」と、すごい意気込みなんです。
類語辞典なんて実用的であればそれでいいと思うのですが、アマゾンの読者レビューを読むと、どうもこの本は実用的でもないらしいんです。にもかかわらず、「学者・文学者が絶賛」しているので、「その欠陥を語釈・用例から編集の杜撰さまで、徹底検証する」ということのようです。
西山里見さんという方がどういう方かは存じませんが、この本は講談社に対する批判にとどまらず、それを支持してた学者や文学者を敵に回すことになるわけで、とても勇気のある方だと思います。実りのある論争になって、立派な辞書が作られるようになるといいのですが…。
ちなみに私は類語辞典は角川のを一冊持っていますが、ほとんど使ってなくて、もっぱらシソーラス(類語)検索のお世話になっています。実用的という観点から言うと、これが一番でしょう^^
いちおう、MyBlogJapanで検索してまだ誰も書いてなかったので、記事にしたのですが、念のためにBulkfeedsで関連記事の検索したらすでにありました。
【関連記事】
難儀日記さんの、噛み付かれるほど認知度高いかな?
いわれてみるとそうですね。そんなに有名な辞書なのでしょうか?
2004年03月04日
ハマトンの書いた『知的生活』という本がありますが、これは本当にほれぼれするような「知的生活」が書かれていて感心します。
「ドイツ人というのは(とびっきりの怠け者であるこの私を別にして)、夏であろうが冬であろうが、朝は五時には起きだします。そして、朝食前に四時間勉強します。その間時々たばこをくゆらせますが、勉強は中断しない。朝食は三十分ですませ、あとは三十分間妻と話をしたり、子供たちと遊んだりする。それから書斎に戻って六時間は勉強する。夕食はゆっくりたべ、食後一時間は、たばこをくゆらせながらまた子供たちの相手をする。そして、寝る前にさらに四時間勉強するのです。毎日これを繰返して、決して外出はしない」。(ハマトン『知的生活』、208頁)
まとめるとこうなります。
5:00 起床、朝の勉強開始
9:00 朝の勉強終わり(4時間)
朝食・団欒(1時間)
10:00 昼の勉強開始
16:00 昼の勉強終わり(6時間)
夕食・団欒(3時間)
19:00 夜の勉強開始
23:00 夜の勉強終わり(4時間)、就寝
勉強14時間、睡眠6時間、その他4時間で、計24時間。うーん、まったく無駄のない時間割。睡眠時間を少し増やすと私にもできそうな気がしないでもないですが…。
今晩は某所で手に入れた1枚1000円のステーキ肉を堪能しました。日頃は、「悪衣、悪食を恥じることなかれ」(だったかな?)という論語の言葉通りの生活を送っていますから、たまにはこんなのもいいでしょう。おいしかったです。
この超高級肉(私にとって)に舌鼓を打ちながら思い出したのが、『なぜ世界の半分が飢えるのか—食糧危機の構造』という本。一時期「なぜ〜なのか」というタイトルの本をたくさん読んでいた時期がありました。この手の本は、最後まで読んでも結局タイトルの「なぜ」がよくわからない本が多いのですが、この本は今でも覚えているくらい、「なぜ」にきちんと答えていました。
「なぜ世界の半分が飢えるのか」といいますと、この本によると、要するに、肉を食べる人がいるから、ということになります。
こまかい数字は覚えていませんが、先進国で一回の食事に使われる肉の量を育てるには、途上国の20回分の食事の量に相当する穀物が必要なんだそうです(手元に本がないのであくまでもうろ覚え)。ですから、先進国の食卓にならぶ肉、牛であれ豚であれ、こうした動物を育てる飼料の穀物をすべて途上国に回せば、数値的には飢えは解決できるのだそうです。
理屈としてはよく理解できるけど、なんだかおかしい。例えば北朝鮮にあてはめて考えてみると、北朝鮮に飢えが存在するのは、先進国がどうのこうのといった理由ではないような気がします。
といったようなことをあれこれ考えながら、1枚1000円のステーキ肉が私のおなかへ入っていきました。
2004年02月16日
外山滋比古『わが子に伝える「絶対語感」—頭の良い子に育てる日本語の話し方』
今日の朝刊の広告に出ていて興味を持ったので、さっそくアマゾンで検索してみました。「絶対語感」という本のタイトルが、いかにも『絶対音感』の二番煎じっぽかったので、ちゃんとした本なのか、それとも“狙った”だけの本なのか、どっちなんだろうと思い、読者レビューを読んでみました。
「子育て中の母親としては自分の言葉を見直すよいきっかけになる本だと思います」
というような評価がある一方で、
「結局のところ、『現代の日本語の乱れに不満を持つ年配の人間が独りよがりの理屈をつけて文句を言う』というよくあるパターンの一つとみなされても仕方がないような本である」
というような手厳しい意見もあります。いちおうまじめな本だけど、面白くはない、ということみたい。
決め手になったのは、
「日本語の大切さを訴えるべき書なのに平仮名が多すぎて大変に読みづらい」
これ。日本で一時期左翼系の人たちが、大衆が読みやすいようにと漢字を少なくする運動をしていたらしく、その時代の本を現在読んでいる私は、こうした文章の読みにくさを身をもって感じているところ(ただ、こういう人たちも『破たん』とか『ま法』とかいう、いわゆる交ぜ書きはしていない)。漢字を仮名書きにするのは、私の知っている先生によると著者の意志というより出版社の方針らしいので、外山さんが悪いわけではないのですが、とにかくこの本は買わないことにしました。
2004年01月25日
前回の記事に重大な誤りがあったので、再度。
ちょっと気になったので、「あにゆきとてちてけんじゃ」で検索したところ、検索結果は0。国語の教科書に載るくらいだからきっと有名な詩のはずなのに、おかしいなあと思ってあれこれ調べたところ、正しくは、
「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」
でした。こちらに詳しい解説があって、
「あめゆじゅ」は「雨雪」、雪のことです。
「とてちて」は「取って来て」、
「けんじゃ」は「賢治さん」という呼びかけです。
私の記憶のいい加減さにあきれかえっています。題名も「雪の朝」ではなく、「永訣の朝」でした。
全文も掲載されていたので、十数年ぶりにあらためて「永訣の朝」を読み返してみたところ、なんだかものすごい詩でした。全文を引用するのもあれなので、一部分をここに引用しようと思ったのですが、どの部分を引用すればいいかわからないくらいとてつもない詩なので、興味のある方は全文をご覧ください。
それにしてもこの詩を中学でどのように教えてたのだろうか。
2003年07月29日
毎日日記を書くつもりでしたが、また間があいてしまいました。知らないうちに、ホームページが3万アクセスを突破していました。まったく更新していないので、なんだか申し訳ない気持ちです。
論文はあいかわらず遅々として進みませんが、あと1ヶ月ほどでレジュメを提出しないといけないので、とにかくどんどん書いていかないといけません。
最近驚いたことは、うちの母親が『毛沢東の私生活』を読み始めたことです。少し前は『ワイルドスワン』を読んでいました。普段、読書などしないタイプでしたが、息子が研究しているらしい文化大革命とはなんなのだろう、と関心を持ったようなのです。かなり面白かったらしくあっというまに読了しました。そしてつぎに選んだのが『毛沢東の私生活』だったというわけです。
母親の中で毛沢東のイメージがどのようなものになっているのかわかりませんが、よくないイメージであることは間違いないでしょう。私も大学時代に読んでショックを受けましたから(笑)
私が最初に読んだ毛沢東関連の本は、サイマル出版あたりが出していた『毛沢東の読書生活』という本です。たしか友人に勧められて読んだような気がします。その友人はとにかく部屋中に本があって、私にもっと本を読むよう忠告してくれてこの本を貸してくれたのでした。それ以来、毛沢東は学究肌の偉い人だと私はずっと思っていたので、『毛沢東の私生活』はとてもショッキングな本でした。
それにしても、今考えると、あの友人は本を買って本当に読んでいたのかはなはだ疑問です。とにかく小さな本屋より本がたくさんありましたから。
近藤君……、君のことだよ!