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2004年04月10日

投稿論文の査読結果が届く

 ずっと前に学会誌に投稿していた論文の査読結果が送られてきました。査読とはその論文が学会誌に掲載すべき論文かどうかを、だいたい二人の先生が審査することです。
私の所属する学会の査読評価には次の4段階があります。

A.論文掲載可
B.修正後論文掲載可
C.整理圧縮後、研究ノートとして掲載可、要再査読
D.掲載不可

 私自身が下した評価はCかDでした。論文としては到底無理だし、研究ノート(論文より格が落ちる)としてもちょっと怪しいかなと思っていました。
 実際の評価はというと、一人の先生はC〜Dで、私の評価と合致していました。問題はもう一人の先生の評価がBだったこと。Bということは論文として掲載していいということなんですよね。そしてこの二つの評価に基づいて学会誌の編集部が最終的に決定した評価はC。研究ノートとしてなら掲載してもよい、ただしもう一度査読します、ということになりました。
 もともとの私の評価はCかDだったので、これがCになったことは本当に喜ぶべきことなんですが、もし仮に、最初の先生の評価がもうちょっと良ければ、論文として掲載されていたかもしれないと思うと、あれこれとよからぬことまで考えてしまいました。まあ、しかし、それは専門家の判断ですし、評価に付けられていた批判のコメントもまっとうな批判でしたから、次にまた頑張りたいと思います。

 しかし、私が提出したのは2万字の原稿だったのですが、今回研究ノートとして再提出しなければならないので、これを1万2千字まで圧縮しなくちゃならないのです。これはかなりきついです。増やすのは簡単だけど減らすのは本当に難しいです。ただこれが学会誌に掲載されるのと掲載されないのとではものすごい違いがありますので、批判コメントを参考になんとか掲載してもらえるようなものにしなくてはいけません。

論文の査読に関しては、以下のページで比較的詳しく書かれています。
投稿論文の査読のしかたを考える
査読する側も大変みたいです…。私の論文を査読してくださった先生(匿名なのでどなたかはわからない)には感謝しなくてはなりません。

ただ、しつこいようですけど、あの先生の評価がもうちょっと良ければ…。

【関連記事】
すかうと。の研究雑記さんの、論文。
こちらは査読待ちです。採用されるといいですね^^

ついでに書いておくと、論文のテーマを探す上で役立った本に、勝つための論文の書き方という本があります。おすすめの本です。

投稿者 goukou : 12:01 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)

2004年03月06日

毛沢東に「モウ、ケッコウ」と言ってみる

 警察の不祥事が問題になってますが、現在の日本でもこんなことが行われているのですから、60年代の中国はもっとひどい腐敗があったと思います。 
 こうした腐敗、あるいはさまざまな社会問題を、人間の変革によって解決しうると信じたのが毛沢東で、システムの変革によって解決しようとしたのが劉少奇。毛沢東の発動した文革は、人間の変革を実現した「新しい人」の出現を期待していたのだけど、そんな人間は現れず(一部の青年をのぞいて)、結局は未曾有の悲劇として終わったと。
 それで、文革後の中国はシステムの変革へ舵を取り直したのですが、やっぱりシステムを実行するのは人間なわけで、この人間が変わらないとシステムはうまく動かないと。
 毛さんよ、結局、鶏が先なのか卵が先なのか。本当に「モウ、ケッコウ」です(笑)

すみません。毛沢東「モウ、ケッコウ」と言いたいがためにこんな記事を書いてしまいました。

投稿者 goukou : 09:11 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)

2004年03月01日

韓国での国際会議2

 以前の記事で書いたように、私は4月に韓国で開かれる国際会議で、中国語で報告をしなくちゃならないんです。
 報告自体は20分程度のものですから、なんとかなると思うのです。何度も原稿を読む訓練をすればだいたい標準的な中国語で話せるはずです。私が心底恐れているのは、その後の質疑応答。まず相手の中国語が聞き取れるかどうかが不安。中国人だからといって標準的な中国語を話すわけではないし、あと韓国人の中国語もくせもの。ここに私のブロークン中国語が混ざるわけですから、質疑応答が成り立つのかどうか。
 原稿はあと3週間で書き上げて、残りの一週間は、予想される質問に対する答えを中国語で答えられるように猛特訓するしかありません。なんだか気が重いですねぇ。

投稿者 goukou : 16:47 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)

2004年02月21日

青年おだてあげ文化

 文革期のいろいろな文章を読んでいて一つ気づくことは、「青年」というものに特殊な意味を与えているということ。毛沢東が青年を「朝8時の太陽」と呼んだ言葉は有名ですし(7時だったか)、私が研究している『朝霞』も基本的には、青年による青年のための文学だったのではないかと思います。
 例えば、文革当時、『朝霞』を評した『人民日報』の次のような文章

叢書の短編小説、散文、詩歌などの作品は、その大部分が優秀な青年を主人公としているが、これは偶然の現象ではない。こうしたことの最も重要な要因は、革命的な青年は政治に最も敏感であり、新しい事物を最も受け入れ、また、文化大革命の精神も、彼らの身に最も深くはっきりと表現されるからである。

 こういう文化を「青年おだてあげ文化」と呼ぶとすると、「青年おだてあげ文化」は文革期に初めて現れたものではなく、五四以来の中国は、基本的に「青年おだてあげ文化」だったと言えるのではないかと思います。今学期は学校の授業で『新青年』の文章を読んだのですが、そこでも青年がやたらにおだてあげられていて、青年=善、中年・老人=悪、という話がたくさん出てきました。
 建国後、五四期に活躍した青年作家が中年、老年になると、突然作品を書かなくなり(書けなくなり)、また新しい若者が出てきます(王蒙など)。文革期になると、またそれまでの作家が作品を書けなくなって、新しい作家がでてくる、ということになっています。そして、この「青年おだてあげ文化」が終わったのが、新時期文学です。

 日本ではどうかというと、私は詳しくないのでいい加減に書くと、明治の有名な作家、夏目漱石とか森鷗外なんかは、私の印象ではけっこう年取ってから書き始めたのではないかと。で、その後は……。ちょっとわかりません^^
 現在はどうかというと、最近話題になった芥川賞と直木賞の二人はまさに若者なのですが、現在の日本では、若者の評価がかなり低いというかむしろ悪いのではないかと思います。毎年、「荒れた」成人式の報道がありますし、ギャル文字とか、言葉や性の乱れとか、いろいろと評判は悪いと。少なくとも若者を「朝8時の太陽」と呼ぶ人はいません(本当はその通りなのですけど)。

 そう考えると、中国の「青年おだてあげ文化」はかなり特徴的な現象で(ただ、戦争期というのは日本を含めてどの国でも青年がおだてあげられる傾向にあると思いますが)、「青年」という視点から、五四以来の文化状況を捉え直すというのはなかなか面白そうなテーマではないかとぼんやり考えてみました。

投稿者 goukou : 05:58 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)

2004年02月19日

"Linguistic Engineering"3

前回のつづき
Linguistic Engineering
別の課題ができたので、思いっきり省略して、第3章の、「Controlling Culture: Literature and Dramatic Art」を集中して読んで、この本については、いちおう終わったことにしました。

 この節では、文革期の小説と模範劇について述べられています。
 小説については、著者自身の考えというより、これまでの研究の引用が多いです。私が驚いたのは、文革期文学に関してアメリカでかなり実証的な研究が進んでいるということ。例えば、Yangという人は、1972年2月から76年10月までに出版された120の小説を材料に、これらの小説に出てくる毛沢東の言葉の引用数などを詳しく調べて、それを文革前の小説と比較する、という研究を行っているようです。ほかにも読みたくなるような論文がたくさん出てきました。
 模範劇については、著者の分析なのですが、基本的には上にあげたような方法を模範劇に当てはめているだけなので、新鮮味という点ではあまり目を引くことはなかったです。

 最後に、この本の全体的な感想を述べておくべきなのですが、今回はあまりにもいい加減に読んだので、ここで私の感想を述べるのは控えたいと思います。一つ言えることは、中国の当代文学史に関心のある人なら、かなり面白く読めるのではないかということです。また、特に文革期文学を研究している人にとっては(日本では数人だと思いますが)、アメリカの研究状況を知る上での格好の手引き書となっていると思いました。
 ということで、"Linguistic Engineering"の紹介については今回で終わりにしたいと思います。

投稿者 goukou : 05:30 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)

2004年02月18日

韓国で「文革期文学」に関する国際会議開催

 今日はある用事で久しぶりに指導教官のところへ行きました。そこで、今度4月の頭に、韓国で文革期文学に関する国際会議があることを聞きました。それはいいですねぇ、なんてのんきに言っていたら、なんと、すでに私もそこで報告することが決まっていました……。
 4月までにあと一ヶ月少々。なんの準備もしていないし、発表はもちろん中国語でやんないといけないし、頭いたい。また脂汗の日々が始まりそうです。

投稿者 goukou : 17:58 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)

2004年02月11日

"Linguistic Engineering"2

前回の続き

 1日50ページ読んで一週間で読み終わることを前回宣言していたのですが、やはりアルファベットは難しいです。難しいというのは私が英語ができないということ以外に、漢字のようにぱっと見てだいたいどんなことが書いてあるのかわからなくて、じっくりと読んで初めてどんなことが書いてあるのかがわかるというもどかしさがあるからです。以前、日本でも文字表記をすべてアルファベットで行おうという動きがあったようですが(今でもあるかも)、もしそれが実施されていたら、今頃ひどい目にあっていたでしょう。

 さて、これからこの本のごく簡単な紹介をしていきますが、私がいい加減に読んだ範囲のものですので、勘違いや間違いがあると思います。「」内も本からの直接の引用ではなく、全体としてだいたいこういうことを言っている、くらいの意味です。

 彼女が本のイントロダクションで最初にあげているのが、ジョージ・オーウェルの『1984』(1949年に書かれた未来小説。未読)。「この小説のappendix(補遺か?)で、オーウェルは、「Newspeak」という言語のみが使われている社会を描いている」。どうして一つの言語だけしか使われていないかというと、「他のいかなる思想方式も不可能にするため」。「オーウェルの小説のもともとのモデルはナチスドイツとソ連。しかし、言語のコントロールがもっと包括的に行われたのは中華人民共和国である」、というのがこの本の出だし。なかなかいい出だしだと思いました。

 本のタイトルとなっている"Linguistic Engineering"という言葉がどういう意味かなのかというと、「態度や信念に影響を与えることを目的に、言葉を変えようとすること」。なので、例えば、「『黒人』という言葉を『アフリカ系アメリカ人』と言いかえようとすることも、広い意味では"Linguistic Engineering"にあてはまる」。ただし、中国で行われた"Linguistic Engineering"がそういうものと違う点は、「絶対的な権力を持つ共産党によって徹底的に言葉の改造が行われた」ということ。「『黒人』を『アフリカ系アメリカ人』と呼ぶかどうかは個人の意志に基づくけども、中国で行われた"Linguistic Engineering"は、それを拒否することも無視することもできなかった」。

 といったことが、イントロダクションのごくごくいい加減な紹介です。

 第1章は言語学の理論的なことが書いてあり、私にはちんぷんかんぷんなので飛ばしました。1-2も問題の背景を説明しているようでした。例えば、どうして、新中国で"Linguistic Engineering"が容易に行われたかというと、もともと暗誦の文化があったためにどうこう、という話。なんとなく読む気がしなかったので、これも省略しました^^
 
 第2章からいよいよ本題に入るみたいで、文革期の"Linguistic Engineering"について書いています(私はここまできて初めてこの本の主題が文革期の"Linguistic Engineering"であることに気づいた)が、これは今から読むところ。第2章が66年から68年まで、第3章が68-76年までについてです。そして第4章はまとめです。次回は第2章の紹介から始めたいと思います。

投稿者 goukou : 16:26 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)

2004年02月05日

"Linguistic Engineering"が届く

 Linguistic Engineering: Language and Politics in Mao's Chinaをようやく手に入れました。

When Mao and the Chinese Communist Party won power in 1949, they were determined to create new, revolutionary human beings. Their most precise instrument of ideological transformation was a massive program of linguistic engineering.

という、この本の視点は、今までの当代文学史研究にはなかった視点で、私の研究にも大いに役立つでしょう。

著者のJi Fengyuanという人は、中国生まれの中国人で、1983年に南開大学で博士号を取ったみたいです。その後ニュージーランドに行って、現在はニュージーランドの大学の先生のよう(私の英語力で読んだかぎりなので間違ってるかも)。

それにしても、この本を読むにはかなり時間がかかりそう。せいぜい300ページなので、英語を読み慣れている人にとっては楽なのでしょうが、いかんせん、私のような人間には…。一日50ページ読めば1週間で終わるので、わかろうがわかるまいがとにかく読み進めて、最終的に5割くらい理解できていれば可という方針にしようと思います。

追加記事

投稿者 goukou : 15:59 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)

2004年02月03日

新たな課題へ向けて

『朝霞』に関する研究が私の次の新たな課題。

ここで言う『朝霞』とは、文革期に出版されていた『朝霞叢書』という一連の小説集(全12冊)と『朝霞』という雑誌の総称のこと。現在の評価では、四人組の陰謀文芸(彼らの権力闘争の道具となった文芸)の代表とされている。文革期文学を語るにはこの『朝霞』を何とかしないといけないが、まともな研究がほとんどなされていないのが現状。
 『朝霞』については、最初修士論文にするつもりで、2年生の夏までこのことをやっていたのだけど、秋になって方向転換して別のことをテーマに。博士課程になってまたやろうと挑戦したが、再び挫折してまた別のことを…。今回は三度目の正直といきたいところだが、先行きはきわめて曖昧。

 『朝霞』研究の難しいところは、これが73年以降に発表された文学であること。文革開始直後の文学だったら、それなりに視点が見つけやすいが(例えば、紅衛兵詩歌など)、73年というのは、実質的にはすでに文革は終了していて、燃えかすのような状態になっていたから。文革肯定派と否定派がいて、『朝霞』は肯定派の御用文学。「文革が時宜にかなったものであることを描き出すのがすべての文芸活動家の任務である」なんてことが言われる、そのような時期。だから基本的には四人組の(正確には張春橋の)政治的道具として想定されていたことは確か。でも実際の作品を読んでみると、そんなにいかがわしい文学ではなく、きわめてまじめというか、けなげというか、とにかく作品を書いた人たちはとても真剣に書いたことも明白なわけで、このへんが難しい。

実際の作品をどのような視点から分析するかについては、まだよく決めていないので、当分は『朝霞』に関する書誌的な情報、73年の社会、政治状況とか、『朝霞』を出版していた上海市委員会の組織とか、実際にどんな人が作品を書いていたのか、といった外堀をまず埋めるつもり。それから、文革中、どのようなものとして宣伝されていたのか、また文革後その評価がどのように変わったのかもすべて調べないといけない。

できればこの外堀だけでまず論文を1本書きたいのだけど、資料の絶対量が少ないはずなので、無理かもしれない。かといって、作品分析と一緒にはできないので、やはりここはひとつ、うだうだと枚数を稼いで学内の『紀要』に載っけてもらうべきだろう。外堀に関しては調べればわかることなので、できるだけはやく、目標としてはどんなに遅くとも4月までには完成させたい。

投稿者 goukou : 05:45 | コメント (0) | トラックバック(0) |編集(管理者のみ)
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