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2004年07月20日

私はアホですと証明しに行く
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

いよいよ明日は学校で発表があります(怖)。

残り24時間を切りました。発表は30分なのでなんとかその分の原稿は準備できると思います。ただその内容が我ながらひどい。ごまかしごまかしでやるので、特に何かしらの結論がでるわけではなく、現在はこういうことをやっています、という報告のようなものになりそう。

前回は一応1月末に一本論文を書いて、この論文はその後も何度か書き直しを命じられたりしてだいぶ長引いたのですが、それでもたいした時間は取られなかったはず。2月から7月という半年以上の時間をかけて今回の発表のようなものしか書けなかったのだから、本当に情けない話です。

明日のM先生のひきつったような顔が目に浮かびそうです。G先生も「いったい、これは何だ」と思われることでしょう。さらに指導教官も自分の教え子がこんな発表をして恥ずかしく思われるでしょう…。私はアホですと証明しに行くようなものですから、頭いたいです。

と、自虐的なことを書いてみましたがこんなことを書くのは精神上よろしくない。学内の発表でどのように評価されようが、それをちゃんと論文として後で発表できればそれでいいのだから、明日のことはもう思い煩うまい。こんな発表を聴かされる先生や同学には申し訳ないですが、面の皮を厚くしてとにかく30分+15分の質疑応答を堪え忍ぼう。

さてと、あと23時間くらいあるので精一杯がんばろう!

投稿者 goukou : 15:26 | コメント (0) | トラックバック(5) |編集(管理者のみ)

2004年04月10日

投稿論文の査読結果が届く
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

 ずっと前に学会誌に投稿していた論文の査読結果が送られてきました。査読とはその論文が学会誌に掲載すべき論文かどうかを、だいたい二人の先生が審査することです。
私の所属する学会の査読評価には次の4段階があります。

A.論文掲載可
B.修正後論文掲載可
C.整理圧縮後、研究ノートとして掲載可、要再査読
D.掲載不可

 私自身が下した評価はCかDでした。論文としては到底無理だし、研究ノート(論文より格が落ちる)としてもちょっと怪しいかなと思っていました。
 実際の評価はというと、一人の先生はC〜Dで、私の評価と合致していました。問題はもう一人の先生の評価がBだったこと。Bということは論文として掲載していいということなんですよね。そしてこの二つの評価に基づいて学会誌の編集部が最終的に決定した評価はC。研究ノートとしてなら掲載してもよい、ただしもう一度査読します、ということになりました。
 もともとの私の評価はCかDだったので、これがCになったことは本当に喜ぶべきことなんですが、もし仮に、最初の先生の評価がもうちょっと良ければ、論文として掲載されていたかもしれないと思うと、あれこれとよからぬことまで考えてしまいました。まあ、しかし、それは専門家の判断ですし、評価に付けられていた批判のコメントもまっとうな批判でしたから、次にまた頑張りたいと思います。

 しかし、私が提出したのは2万字の原稿だったのですが、今回研究ノートとして再提出しなければならないので、これを1万2千字まで圧縮しなくちゃならないのです。これはかなりきついです。増やすのは簡単だけど減らすのは本当に難しいです。ただこれが学会誌に掲載されるのと掲載されないのとではものすごい違いがありますので、批判コメントを参考になんとか掲載してもらえるようなものにしなくてはいけません。

論文の査読に関しては、以下のページで比較的詳しく書かれています。
投稿論文の査読のしかたを考える
査読する側も大変みたいです…。私の論文を査読してくださった先生(匿名なのでどなたかはわからない)には感謝しなくてはなりません。

ただ、しつこいようですけど、あの先生の評価がもうちょっと良ければ…。

【関連記事】
すかうと。の研究雑記さんの、論文。
こちらは査読待ちです。採用されるといいですね^^

ついでに書いておくと、論文のテーマを探す上で役立った本に、勝つための論文の書き方という本があります。おすすめの本です。

投稿者 goukou : 12:01 | コメント (0) | トラックバック(1) |編集(管理者のみ)

2004年03月06日

毛沢東に「モウ、ケッコウ」と言ってみる
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

 警察の不祥事が問題になってますが、現在の日本でもこんなことが行われているのですから、60年代の中国はもっとひどい腐敗があったと思います。 
 こうした腐敗、あるいはさまざまな社会問題を、人間の変革によって解決しうると信じたのが毛沢東で、システムの変革によって解決しようとしたのが劉少奇。毛沢東の発動した文革は、人間の変革を実現した「新しい人」の出現を期待していたのだけど、そんな人間は現れず(一部の青年をのぞいて)、結局は未曾有の悲劇として終わったと。
 それで、文革後の中国はシステムの変革へ舵を取り直したのですが、やっぱりシステムを実行するのは人間なわけで、この人間が変わらないとシステムはうまく動かないと。
 毛さんよ、結局、鶏が先なのか卵が先なのか。本当に「モウ、ケッコウ」です(笑)

すみません。毛沢東「モウ、ケッコウ」と言いたいがためにこんな記事を書いてしまいました。

投稿者 goukou : 09:11 | コメント (0) | トラックバック(9) |編集(管理者のみ)

2004年03月05日

大学院の学費はいくら?
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

 今学期の学費をまだ払っていないことに気づいたので、今日は銀行へ行かなくてはなりません。大学院生の学費がいくらかというと、私の通う学校(国立)では年間54万円くらい。これは高いのか安いのか。
 単純に1回の授業あたりの金額に換算すると、私は週3回くらい授業に出てて、年間の授業は25週くらい。ということは、54万円÷75で、1回あたりの授業に払う金額は7200円!
 もちろん図書館とか食堂なんかの施設費なども込みでしょうけど、それを差し引いても1回の授業に5000円は払っていると見ていいと思います。
 普通の大学生はもっと授業があるでしょうから、1回あたりの授業料も減るわけです。だいたい普通の大学生だと週15回くらいは授業があるのではないでしょうか。
 私がここで声を大にして叫びたいのは、週15回授業に出る学生と週3回しか出ない学生の授業料が同じなのはどういうことなのか、ということなんです!週3回しか出ないというということは、大学にとってはそれだけ人件費がかからないわけですから、当然、授業料は安くならないとおかしいはずです。

 かなり前のニュースで恐縮ですが、中国ではこの不条理きわまりないシステムにすでにメスが入れられているのです。

ソース:「人民網日本語版」2004年2月11日
大学で学費新システムを実施 単位数に応じて納付

 中国大陸部の一部の大学で、今年から単位に基づく管理制度が実施され、学費納付のシステムが変わる。学生は履修単位数に応じて学費を納入することになる。

 大学は物価部門が承認した学費基準に基づき、登録単位数ごとに学費を徴収し、学年の終わる前に実際の履修状況に応じて精算を行う。新システムは、今年は全国の3割強の大学で実施される見込み。記事全文

 どうですか、この合理的なシステム。日本の大学にも見習ってもらいたいものです、と言いたいところですが、このシステムを導入することによって日本の大学がつぶれたりすると私の就職の機会がそれだけ減ることになるので、やっぱりこのままでいいかなぁと。
 あきらめて学費納めに行きます(支払い期限は去年の11月だし…)。

【追記】
よく考えると、大学院生の出る授業は少人数の授業で、一般の大学生の授業は大人数の授業だから、私が書いた、授業の数が違うのに学費がどうのこうの、というのはおかしな見方だということに気づきました(アホ)。

研究計画書の考え方―大学院を目指す人のために
妹尾 堅一郎

投稿者 goukou : 09:24 | コメント (4) | トラックバック(6) |編集(管理者のみ)

2004年03月04日

『知的生活』(ハマトン)のスケジュール
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

 ハマトンの書いた『知的生活』という本がありますが、これは本当にほれぼれするような「知的生活」が書かれていて感心します。

「ドイツ人というのは(とびっきりの怠け者であるこの私を別にして)、夏であろうが冬であろうが、朝は五時には起きだします。そして、朝食前に四時間勉強します。その間時々たばこをくゆらせますが、勉強は中断しない。朝食は三十分ですませ、あとは三十分間妻と話をしたり、子供たちと遊んだりする。それから書斎に戻って六時間は勉強する。夕食はゆっくりたべ、食後一時間は、たばこをくゆらせながらまた子供たちの相手をする。そして、寝る前にさらに四時間勉強するのです。毎日これを繰返して、決して外出はしない」。(ハマトン『知的生活』、208頁)

まとめるとこうなります。

5:00 起床、朝の勉強開始
9:00 朝の勉強終わり(4時間)
朝食・団欒(1時間)
10:00 昼の勉強開始
16:00 昼の勉強終わり(6時間)
夕食・団欒(3時間)
19:00 夜の勉強開始
23:00 夜の勉強終わり(4時間)、就寝

 勉強14時間、睡眠6時間、その他4時間で、計24時間。うーん、まったく無駄のない時間割。睡眠時間を少し増やすと私にもできそうな気がしないでもないですが…。

投稿者 goukou : 22:57 | コメント (3) | トラックバック(10) |編集(管理者のみ)

2004年03月01日

韓国での国際会議2
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

 以前の記事で書いたように、私は4月に韓国で開かれる国際会議で、中国語で報告をしなくちゃならないんです。
 報告自体は20分程度のものですから、なんとかなると思うのです。何度も原稿を読む訓練をすればだいたい標準的な中国語で話せるはずです。私が心底恐れているのは、その後の質疑応答。まず相手の中国語が聞き取れるかどうかが不安。中国人だからといって標準的な中国語を話すわけではないし、あと韓国人の中国語もくせもの。ここに私のブロークン中国語が混ざるわけですから、質疑応答が成り立つのかどうか。
 原稿はあと3週間で書き上げて、残りの一週間は、予想される質問に対する答えを中国語で答えられるように猛特訓するしかありません。なんだか気が重いですねぇ。

投稿者 goukou : 16:47 | コメント (0) | トラックバック(3) |編集(管理者のみ)

2004年02月21日

青年おだてあげ文化
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

 文革期のいろいろな文章を読んでいて一つ気づくことは、「青年」というものに特殊な意味を与えているということ。毛沢東が青年を「朝8時の太陽」と呼んだ言葉は有名ですし(7時だったか)、私が研究している『朝霞』も基本的には、青年による青年のための文学だったのではないかと思います。
 例えば、文革当時、『朝霞』を評した『人民日報』の次のような文章

叢書の短編小説、散文、詩歌などの作品は、その大部分が優秀な青年を主人公としているが、これは偶然の現象ではない。こうしたことの最も重要な要因は、革命的な青年は政治に最も敏感であり、新しい事物を最も受け入れ、また、文化大革命の精神も、彼らの身に最も深くはっきりと表現されるからである。

 こういう文化を「青年おだてあげ文化」と呼ぶとすると、「青年おだてあげ文化」は文革期に初めて現れたものではなく、五四以来の中国は、基本的に「青年おだてあげ文化」だったと言えるのではないかと思います。今学期は学校の授業で『新青年』の文章を読んだのですが、そこでも青年がやたらにおだてあげられていて、青年=善、中年・老人=悪、という話がたくさん出てきました。
 建国後、五四期に活躍した青年作家が中年、老年になると、突然作品を書かなくなり(書けなくなり)、また新しい若者が出てきます(王蒙など)。文革期になると、またそれまでの作家が作品を書けなくなって、新しい作家がでてくる、ということになっています。そして、この「青年おだてあげ文化」が終わったのが、新時期文学です。

 日本ではどうかというと、私は詳しくないのでいい加減に書くと、明治の有名な作家、夏目漱石とか森鷗外なんかは、私の印象ではけっこう年取ってから書き始めたのではないかと。で、その後は……。ちょっとわかりません^^
 現在はどうかというと、最近話題になった芥川賞と直木賞の二人はまさに若者なのですが、現在の日本では、若者の評価がかなり低いというかむしろ悪いのではないかと思います。毎年、「荒れた」成人式の報道がありますし、ギャル文字とか、言葉や性の乱れとか、いろいろと評判は悪いと。少なくとも若者を「朝8時の太陽」と呼ぶ人はいません(本当はその通りなのですけど)。

 そう考えると、中国の「青年おだてあげ文化」はかなり特徴的な現象で(ただ、戦争期というのは日本を含めてどの国でも青年がおだてあげられる傾向にあると思いますが)、「青年」という視点から、五四以来の文化状況を捉え直すというのはなかなか面白そうなテーマではないかとぼんやり考えてみました。

投稿者 goukou : 05:58 | コメント (0) | トラックバック(2) |編集(管理者のみ)

2004年02月19日

"Linguistic Engineering"3
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

前回のつづき
Linguistic Engineering
別の課題ができたので、思いっきり省略して、第3章の、「Controlling Culture: Literature and Dramatic Art」を集中して読んで、この本については、いちおう終わったことにしました。

 この節では、文革期の小説と模範劇について述べられています。
 小説については、著者自身の考えというより、これまでの研究の引用が多いです。私が驚いたのは、文革期文学に関してアメリカでかなり実証的な研究が進んでいるということ。例えば、Yangという人は、1972年2月から76年10月までに出版された120の小説を材料に、これらの小説に出てくる毛沢東の言葉の引用数などを詳しく調べて、それを文革前の小説と比較する、という研究を行っているようです。ほかにも読みたくなるような論文がたくさん出てきました。
 模範劇については、著者の分析なのですが、基本的には上にあげたような方法を模範劇に当てはめているだけなので、新鮮味という点ではあまり目を引くことはなかったです。

 最後に、この本の全体的な感想を述べておくべきなのですが、今回はあまりにもいい加減に読んだので、ここで私の感想を述べるのは控えたいと思います。一つ言えることは、中国の当代文学史に関心のある人なら、かなり面白く読めるのではないかということです。また、特に文革期文学を研究している人にとっては(日本では数人だと思いますが)、アメリカの研究状況を知る上での格好の手引き書となっていると思いました。
 ということで、"Linguistic Engineering"の紹介については今回で終わりにしたいと思います。

投稿者 goukou : 05:30 | コメント (0) | トラックバック(1) |編集(管理者のみ)

2004年02月18日

韓国で「文革期文学」に関する国際会議開催
[ 論文の書き方、論文テーマ選び]

 今日はある用事で久しぶりに指導教官のところへ行きました。そこで、今度4月の頭に、韓国で文革期文学に関する国際会議があることを聞きました。それはいいですねぇ、なんてのんきに言っていたら、なんと、すでに私もそこで報告することが決まっていました……。
 4月までにあと一ヶ月少々。なんの準備もしていないし、発表はもちろん中国語でやんないといけないし、頭いたい。また脂汗の日々が始まりそうです。

投稿者 goukou : 17:58 | コメント (0) | トラックバック(2) |編集(管理者のみ)
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