青年おだてあげ文化
青年おだてあげ文化
文革期のいろいろな文章を読んでいて一つ気づくことは、「青年」というものに特殊な意味を与えているということ。毛沢東が青年を「朝8時の太陽」と呼んだ言葉は有名ですし(7時だったか)、私が研究している『朝霞』も基本的には、青年による青年のための文学だったのではないかと思います。
例えば、文革当時、『朝霞』を評した『人民日報』の次のような文章
叢書の短編小説、散文、詩歌などの作品は、その大部分が優秀な青年を主人公としているが、これは偶然の現象ではない。こうしたことの最も重要な要因は、革命的な青年は政治に最も敏感であり、新しい事物を最も受け入れ、また、文化大革命の精神も、彼らの身に最も深くはっきりと表現されるからである。
こういう文化を「青年おだてあげ文化」と呼ぶとすると、「青年おだてあげ文化」は文革期に初めて現れたものではなく、五四以来の中国は、基本的に「青年おだてあげ文化」だったと言えるのではないかと思います。今学期は学校の授業で『新青年』の文章を読んだのですが、そこでも青年がやたらにおだてあげられていて、青年=善、中年・老人=悪、という話がたくさん出てきました。
建国後、五四期に活躍した青年作家が中年、老年になると、突然作品を書かなくなり(書けなくなり)、また新しい若者が出てきます(王蒙など)。文革期になると、またそれまでの作家が作品を書けなくなって、新しい作家がでてくる、ということになっています。そして、この「青年おだてあげ文化」が終わったのが、新時期文学です。
日本ではどうかというと、私は詳しくないのでいい加減に書くと、明治の有名な作家、夏目漱石とか森鷗外なんかは、私の印象ではけっこう年取ってから書き始めたのではないかと。で、その後は……。ちょっとわかりません^^
現在はどうかというと、最近話題になった芥川賞と直木賞の二人はまさに若者なのですが、現在の日本では、若者の評価がかなり低いというかむしろ悪いのではないかと思います。毎年、「荒れた」成人式の報道がありますし、ギャル文字とか、言葉や性の乱れとか、いろいろと評判は悪いと。少なくとも若者を「朝8時の太陽」と呼ぶ人はいません(本当はその通りなのですけど)。
そう考えると、中国の「青年おだてあげ文化」はかなり特徴的な現象で(ただ、戦争期というのは日本を含めてどの国でも青年がおだてあげられる傾向にあると思いますが)、「青年」という視点から、五四以来の文化状況を捉え直すというのはなかなか面白そうなテーマではないかとぼんやり考えてみました。
アフィリエイトで本当にこうなりました(笑)
Excerpt: Online is
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Date: 2005.09.20
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